深沢幸雄先生
19日、あずさ、かなちゃんと多摩美時代の恩師、深沢幸雄先生の家へ。
東京から電車で揺られながら、超ローカル鉄道を使い上総牛久駅へ。
ディーゼルで動いている電車ってはじめて乗ったかも。あれは「電車」とはいわないのかな。

看板も手書き。

懐石料理列車ってなんだ?
深沢先生の出会いは大学入試のときだった。
5時間で仕上げる、イメージデッサンのテスト中、会場を見て回っていて、僕の後ろで立ち止まった。
僕は受験中にも関わらず、「どうですかね?」と聞いてみると、優しく微笑んでくれた。
大学在学中の一年間だけ銅版画の先生でしたが、帰り道一緒になる事も多く、何度か二人で居酒屋でお酒を呑んだこともあった。
その時は決まって、「セニョール、これから一杯どうだ」といった感じで誘われ、色々と昔話や作品制作について話してくれた。

画廊が一緒だったり、僕が賞を取ったときのコンクールの審査員で授賞式で同じ席になったり、メキシコに住んでいた事があり、中南米の文化からの影響など、他人事ではないつながりを感じる。
前世でマヤ文明で一緒に粘土で陶器の器を作ったり、石を削ってレリーフ作ったりもしていたような気もする。
深沢先生の娘さんのアキコさんが美味しい料理をご馳走してくれたり、美味しいお酒を呑ませてもらえたりと、楽しい一時を過ごしました。

とにかく、86歳でも、まだ元気そうで嬉しかった。
また、いつか遊びにいけるといいな。
恩師の魂を引き継ぎ、制作していきたいな。
心さだめて、今の自分ができる事しようっと!
東京から電車で揺られながら、超ローカル鉄道を使い上総牛久駅へ。
ディーゼルで動いている電車ってはじめて乗ったかも。あれは「電車」とはいわないのかな。

看板も手書き。

懐石料理列車ってなんだ?
深沢先生の出会いは大学入試のときだった。
5時間で仕上げる、イメージデッサンのテスト中、会場を見て回っていて、僕の後ろで立ち止まった。
僕は受験中にも関わらず、「どうですかね?」と聞いてみると、優しく微笑んでくれた。
大学在学中の一年間だけ銅版画の先生でしたが、帰り道一緒になる事も多く、何度か二人で居酒屋でお酒を呑んだこともあった。
その時は決まって、「セニョール、これから一杯どうだ」といった感じで誘われ、色々と昔話や作品制作について話してくれた。

画廊が一緒だったり、僕が賞を取ったときのコンクールの審査員で授賞式で同じ席になったり、メキシコに住んでいた事があり、中南米の文化からの影響など、他人事ではないつながりを感じる。
前世でマヤ文明で一緒に粘土で陶器の器を作ったり、石を削ってレリーフ作ったりもしていたような気もする。
深沢先生の娘さんのアキコさんが美味しい料理をご馳走してくれたり、美味しいお酒を呑ませてもらえたりと、楽しい一時を過ごしました。

とにかく、86歳でも、まだ元気そうで嬉しかった。
また、いつか遊びにいけるといいな。
恩師の魂を引き継ぎ、制作していきたいな。
心さだめて、今の自分ができる事しようっと!
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