怒りについて

今年度は水道組合長として大忙な年です。
水が濁ったり、水道ポンプが壊れたりと事件がたくさん。
自治会のおじいちゃん達にいろいろ教えてもらいながら、無事にこなして来ています。
色んな事件をきっかけに、自治会の人たちと深く関われたことや綱子水道のことなどがよく分かってきてすごくよかった。
ポンプの工事は市や財産区が9割も負担してくれるので、部落での負担は1割。
100万円を超える大工事なので、ほんと助かる!
昨日、水道組合の集会で決まったことを書類して配って歩きました。
ある独り暮らしのおじいちゃんが、書類の内容を伝えると、部落負担の工事費1万円を支払ってくれました。
僕は領収書がなかったので、「またの機会でいいです」と断ったのですが、「いつでも領収書はいいよ」というのでお金を受け取りました。
次の日、そのおじいちゃんがやってきて、「領収書がないのはおかしいぞ!」軽く不機嫌な感じでうちにやってきました。
すぐに領収書を作ってお渡ししたんだけど、「お金と領収書は引き換えじゃないとだめだ」と怒られました。
昨日そのおじいちゃんが言っていたことを伝えると、そんなこと言ってないと言う。
僕も心の中でちょっとむっとしましたが、とりあえず、すみませんと頭を下げその場を治めました。
怒りについて考えさせられた。
怒りって何かの出来事が起こり、その人の「癇に障る」と感情が表れる。
本当は出来事は重要ではなくて、その人の「癇」の問題なのだろう。
感情が沸き起こる時、自分を見つめるチャンス。
「なぜ怒りが湧き起こるのか」「なぜ悲しいのか」「なぜこう思ってしまうのか」・・・
出来事が重要なのではなく、その出来事に反応する自分の心を見つめることが大事なのかもしれない。
近所のおじいちゃんを通して教えられたことでした。
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